日本におけるコースターの広まり

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■和製コースター、茶托の歴史

コースターが日本に入ってくる以前から、類似したものとして使われていたのが茶托です。茶托とは湯呑茶碗用の受け皿で、コースターのように飲み物の下に敷いて使われます。お茶を飲む習慣は平安時代には既にありましたが、茶托は江戸時代に中国からお茶を飲む道具として輸入された杯と杯台の代わりに、茶碗と茶托が使われるようになったのが始まりと考えられています。輸入された杯台が錫製だったため、錫製の茶托が最上とされるようになりました。その後木製のものが作られ、現代では陶器や磁器、金属やプラスチック製のものなど種類が豊富にあります。

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■紅茶やコーヒーの受け皿、カップソーサーの歴史

紅茶やコーヒーが日本にやってきた頃まだコースターはありませんでしたが、受け皿としてカップソーサーは使われていました。日本で紅茶やコーヒーが広まっていったのは明治の頃です。明治初期には上流階級の一部しか手に入れられなかったのですが、明治末期からは一般庶民でも嗜めるようになりました。現代のような本格的な喫茶店が始まったのも明治時代からです。

余談となりますが、18世紀頃のイギリスやフランスでは紅茶を飲む時カップからカップソーサーにあけて、冷ましながら飲んでいたそうです。そのため、当時のカップソーサーは液体を溜めやすいように深さがあったということです。また、西洋にコーヒーや紅茶が入ってきた頃は高額だったこともあり、カップやソーサーは今のものよりサイズが小さかったのだそうです。

■コースターの登場と日本での広まり

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現代よく利用されている紙コースターが日本で広まるのは戦後からとなります。当時の進駐軍の将校クラブで使われていたものが実用的であると評価され、日本でも作られるようになりました。主に喫茶店やバーなどで使われるようになり、今では素材も、紙、コルク、木、布やレース編み、金属製のものから畳で出来たものまで様々です。

紙コースターは専門の印刷会社が製造することが多いですが、素材のバリエーションの多さから色々な業種の会社で作られています。実用的なものはもちろんコレクションアイテムとしても人気が高いので、喫茶店などの飲食店で利用される他、イベントの集客用アイテムや街おこし、会社や学校の記念品、個人の記念品などにも利用されています。

■コースターの製造技術の進歩

コースターの広がりとともにコースター印刷の技術も進み、ただ印字するだけでなく、様々な加工を施すことが出来るようになりました。「デボス」と呼ばれる技術は、文字や模様に圧力をかけて大きく凹ませる技術です。文字や模様に独特の高級感を演出することが出来ます。

逆に「エンボス」は、文字や模様に上下から圧力をかけて浮き上がらせるようにします。ロゴなど存在感をアピールしたい時によく使われる技術です。「箔押し」は、金箔や銀箔などを熱で貼り付けます。高級感を出したい時に利用します。情報を多く盛り込みたい時は、「両面印刷」も可能です。イベントの案内や店舗の紹介に適しています。「撥水加工」することでコップにコースターが貼り付くのを防げます。汚れも付きにくいのでコースターを長持ちさせる効果もあります。また、紙コースターは加工しやすいので、どんな形も思いのままです。

時代とともにコースター印刷技術も進歩していき、これらの技術を色々組み合わせたオリジナルのコースターを簡単に作ることが出来るようになって、より豊かな表現が可能になりました。紙コースター以外ではもっと自由な発想のコースターが多種存在します。また、使用用途も時代とともに広がってきており、アイデア次第で色々活用出来るコースターは、控えめながらもこれから更なる活躍が期待出来ることでしょう。

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